戻る
ハチマルな私
ハチマルって何?
ハチマルの先祖?
ハチマルの友達
ハチマルの周辺機器
ハチマルの終焉
しかしハチマルは
そしてハチマルは
ハチマルって何?
1979年にNECから発売され、瞬く間に日本中でベストセラーとなったパソコン、それがハチマル。正式名称はPC-8001、160x100で8色のカラーグラフィックス、24K(最大32K)のROMと16K(最大32K)のRAM、拡張ユニットを介してフロッピーディスクにもつなげる。さらにRS-232CはおろかIEEEインターフェースなどもオプションで準備されているとおり、これだけの可能性を秘めながら本体価格は168000円に抑えていた、と、当時としてはまさに夢のようなパソコンでした。
なんにしても、色つきの個人向けコンピューターというのは国内初(海外製はApple等が存在していた)であり、専用ディスプレイを用いずともRFモジュレーターを介せば1万円ちょっとで家庭用テレビに出力できたというのも大きなウリでした。横40文字表示の他に80文字表示、英文字フォントに大文字の他小文字を初めて取り入れたことで画面に表示できる情報量をぐっと高めていたことも特長です。
なんにせよ、ハチマルは売れに売れました。パーソナルコンピュータ、パソコン、あるいはパーコンという名称を初めて用いられたのもハチマルです。それまではマイクロコンピュータ、マイコン、オフィスコンピュータ、オフコンという呼び方が一般的でした。
ハチマルの先祖?
先祖といえるかどうかは分かりません。ただ、ハチマルの前にはNECからTK-80BSというコンピューターシステムが発売されていました。これは、ワンボードマイコンのTK-80にROM-BASICを組み込んでフルキーボードを装備したもの(おそらくBSはBASIC SYSTEMの略)で、画面表示も32桁、フォントも全く違うことから、ハチマルとは全く異なったものと考える方がいいでしょう。
むしろ、当時標準BASICと言われていた言語をハード的に完成させ、ハチマルのハードに対応させたいわゆるN-BASICを搭載した、という時点でTK-80BSとは全く設計思想が異なっていたとも言えます。なんにせよ、ハチマルは国内産でいう初のマイクロソフト系BASICマシンと位置づけることができるでしょう。
ハチマルの友達
ハチマルというと、同時期の有力マシンとして挙げなければならないのがシャープのMZ-80シリーズです。当初はマイコン博士という名称のキットから始まり、MZ-80K、MZ-80C、MZ-80K2とマイナーチェンジを続けてきたマシンです。いずれも本体にディスプレイ(単色)とカセットレコーダーを一体化したモデルで、機能的には最大48KBまでのRAMを使用でき、3オクターブまでの単音演奏が可能というものでした。その都度テープからOSを読み込ませるあたりは面倒ながらも合理的な考え方であり、当時当たり前だったROM-BASICを嫌うユーザーにも受けがよかったようです。
他には、これも音楽機能を備えた日立のベーシックマスターレベル2、タンディ社のTRS-80、コモドールのPET-2001、ワンボードでは東芝のEX-80、富士通のLkit-8など、多種多彩なマシンが揃っていました。今では考えられないことです。
ハチマルの周辺機器
ハチマルが売れたことに加え、当時はマシンが新製品でいられる寿命が長かったので、各社から様々な周辺機器が発売されました。NECからフロッピーディスクドライブや高解像度カラーディスプレイ、ライトペンが出ていたのは当然としても、キャラクタを自由に書き換えることができ、8オクターブ単音(後期のものは3重和音)出力機能も付いたHAL研究所のPCG-8100、フリーエリアを犠牲にするものの完全なる640x200の解像度を実現するアイ・シーのフルグラフィックユニットFGU-8000(後に、バンク切り替えによりフリーエリアを消費しないFGU-8200も発売された)、各社から出たジョイスティック、カセットインターフェースのボーレート(書き込み/読み込みの速さ)を上げるユニット、音楽の多重演奏ができる内蔵ボード(アドコムのサウンドユニット、標準3音・拡張後6音)や外付け機械(アムデックのCMU-800、6重和音+7ドラム付き)、X-Yプロッタなどなど。雑誌に発表されたものとしては、外部バスを利用した音楽や音声出力回路、PCGもどきのPSA、PCGの完全フルカラー化、、RAM64K化、カセットテープからの読み込みデータ補正回路など。ユーザーもハードを最大限利用すべく、そして可能性を求めて改造を試みたものでした。
ハチマルの終焉
1981年の秋から暮れにかけ、NECから新マシンPC-6001とPC-8801が発売されました。後者はハチマルのソフト資産を受け継ぐという触れ込みになっており、事実これが出たときにはハチマルの終わりを危惧したものですが、根強いユーザーに支えられたハチマルは死ぬこともなく、その翌年にも変わることなく雑誌にその名を示すこととなりました。88用にPCGが発売されてハチマル用PCGソフトが問題なく動くようになって事実上ハチマルの存在意義がなくなった以降もこの流れは続き、ハチマルの後継機であるPC-8001mkIIが発売になる1983年春頃まで現役として売れ続けていたのです。しかし、1982年暮れに発売された富士通のFM-7、シャープのX1といった、以後一時代を築くコンピューターに押される状態も否めなくなり、ゆっくりとその姿を消していくのです。
しかしハチマルは
NECは基本的に上位互換路線をとっていました。初代のPC-8801にはハチマルの機能も組み込まれています。これはつまり、88シリーズの上位互換路線が続く限りハチマルも内包されるという意味でした。というのは、88のソフトでもN-BASICから88の機能を使うゲーム等が初期のゲームとして存在しており、互換性を確保するためにはそうせざるをえなかったという事情もあります。なんにせよ、88VAシリーズは別として、この流れは88の最終機のPC-8801MC、また、98と88のソフトが両方動くPC-98DO/DO+まで続きます。長きに渡ってその存在を忘れられたN-BASICを動かすには少しの工夫が必要です。初代88ではディップスイッチひとつで立ち上がったN-BASICも、88の最終機であるMCではマニュアルにも記載されておらず、消えてしまったかのように思えました。しかし、ハチマルは死んではいなかったのです。ROMバージョンはいつの間にか1.8まで上がり、当時の最新機種であった88でもその内部に存在していたのです。
そしてハチマルは
現在、パソコンを初めとするエミュレーター熱が上がっています。コンピューター技術の発達は、当時を懐かしむに充分な環境を与えてくれたのです。
ハチマルのエミュレーターも存在しますが、現在主流になっている88のエミュレーターでは、いずれもN-BASICが駆動します。NECのとってきた上位互換路線は当時のユーザーを辟易させたものですが、皮肉にも今になってハチマルがエミュレーターとしてよみがえるに適した方法だったのです。
そして、ハチマルで残された資産も同様によみがえるのです。ユーザーが好き放題できた時期、現在とはまた違った意味で充実していたソフトウェアが現行のマシンで動くのです。当時熱中したアクションゲームや、解けずに埋もれていたアドベンチャーゲームもストレスなく遊べるようになりました。ハチマル、それは私にとって、永遠のおもちゃ箱なのです。
戻る